お茶漬けが語る
朝からお椀とスプーンを持って
ゲラゲラ走ってくる男子高校生
あんまり見たことない眺めだなぁ
朝食の二杯目は送りの車内で食べようと用意していて
そのお茶漬けを忘れて車に乗り込み
同乗者を待たせ、その眺めを見せるわけです
おもしろいなぁと思っていたのに
しばらく峠をくだったころに
「あ、自転車わすれた」
自転車を取りに戻り
走りだしたところに
待って、スマホない!
てんやわんやで楽しいのですが
今回の場合、同乗の娘が全皺寄せを被っているわけで
こういう時
誰にどのくらいの皺が寄ったのかを
ぱっと探っておく必要はあると思うのです
その場が笑えたからよいわけじゃなく
自分に皺が寄っても笑ってくれる人がいるわけだから
それを把握しておくくらいのことはしておかないといけません
我が家にはそういう人が何人かいるのです
いつもありがとうと思っているけれど
「ありがとう」とか言うよりも
その損失を少しでも把握しておいて
何かの形で優遇したいと、母は思っています。
迷惑を被ったことを
言語化して示せることも、とても必要
でもそれを
どんな気持ちに乗せるかは重要で
言語化に不機嫌を搭載する人は
面倒だからという理由で優遇されがち。
言語化せずに不機嫌だけ浮かべる人は
仕方ないなとみんなに甘やかされがち。
それに比べて
優しい人、自分とまわりのハッピーを崩さないことに重きを置く人は
不機嫌にならない努力をしてくれているので
いつも楽しそうに見えてしまって、放置されがち。
こういう人が寂しい気持ちになってほしくないと
強く思います。
我が家、5人家族
社会の縮図。
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